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2010年11月11日 (木)

「道成寺」はこうして生まれた(邦訳掲載)

フラメンコ「道成寺」(11月27日、28日。ル・テアトル銀座)が近づいてきました。

吉井盛悟くんとARTE Y SOLERAの出会いから、この舞台作品が生まれるまでが英字紙「The Japan Times」に載りました。執筆者はダニやんことダニエル・ローゼンさんです。

英語は苦手、という方はメールでお知らせください。メラニーさんから送ってもらった邦訳を返送します。著作権などの問題があるため、ブログに載せることはできないことをご理解ください。

メラニーさんが送ってくれた邦訳を紹介します。

「異なるビートで舞うフラメンコ」

ジャパン・タイムズ紙寄稿記事

年に一度、佐藤浩希はせわしない東京での生活を離れ、フラメンコ発祥の地スペインアンダルシアの丘に戻る。通りに出て歩き始めるやいなや早速誰かから声がかかる。人々の生活の中にフラメンコが脈々と息づいている村において、道ばたで見せる即興の踊りは儀式というよりむしろあいさつだ。世界的に名の知られたフラメンコダンサーである佐藤は、地理的にも文化的にも日本とかけ離れたこの地で心底くつろぐことができる。しかし彼の変貌は一夜にして起きたことではない。

1990年代前半まだ高校生だった佐藤は、身体障害者施設で働く熱心なボランティア青年だった。施設の利用者たちが突然感情を爆発させると、ほとんどの人なら落ち着かない気持ちになるところだが、佐藤には開放的に映った。

「感情をコントロールすることができない人たちと働くことが好きだったんです。」と佐藤はジャパン・タイムズ紙のインタビューに答える。「彼らの叫び声が僕には美しく聞こえた。僕の中にもいつも叫び出したい自分がいて、それをいつも抑えていました。だからその感情をただ外に出してしまう人たちといるとホッとしたんです。」

ちょうど同じ頃、フラメンコを習っていた友人からフラメンコ舞踊の巨匠アントニオ・ガデスのビデオを気まぐれに借りて見たことが佐藤の人生を永遠に変えてしまうことになる。その直後同じ友人に誘われ、当時すでに日本のフラメンコ界ではその存在感を確固たるものにしていた鍵田真由美のスタジオで初めてレッスンを受ける。フラメンコの中に佐藤は胸に封じ込めていた声のはけ口を見出す。その後10年もたたないうちに、佐藤は鍵田と共にアルテイソレラ舞踊団を結成する。

話を早送りして2009年。国内外の舞踊界で次々と力作を発表していたアルテイソレラは、佐渡島南部の半島にある古民家「花の木」で一夜限りのライブを行うことになる。太鼓ファンならば、佐渡というと芸能集団「鼓童」の本拠地だと思い当たるだろう。運命の巡り会わせなのか、その晩鼓童のメンバー数名が花の木を訪れ、奇跡の出会いが生まれる。

「日本人がスペイン舞踊を踊るということに、僕はこれといって関心を持っていなかった。」と鼓童の若手成長株の一人である吉井盛悟は語る。「でも(鍵田と佐藤の)フラメンコの中に、国境や歴史を超越した何かを見たんです。人間の純粋な本質が踊っているのを見た。このグループと一緒に作品を作りたいとすぐに思いました。」

その後数ヶ月、吉井は多忙なスケジュールを縫い、アメリカやヨーロッパなど鼓童が海外ツアーに向かう途中で東京を通過するたびに、アルテイソレラのスタジオを訪れるようになる。吉井は生まれて初めてフラメンコシューズを履くのにも関わらず、自分にインスピレーションを与えてくれたグループに敬意を示すかのように、足から血が出るまで踊ることを止めなかったと佐藤は語る。

スペイン生まれの芸術を本当の意味で自分の物にすることができる能力、恐らく芸術家として吉井がアルテイソレラの二人の中に感じ取っていたのはそれであったのだろう。「みんなスペイン人のように踊りたがるんです。でも僕はそう思ったことはありません。もちろん技術を習得することは大切ですが、その技術で何をするか、それがあって初めて芸術家と言える。」

「学ぶ(まなぶ)」という言葉が「真似る(まねる)」に由来している国において、このアプローチは珍しいといえる。オリジナルから離れ独自の芸術スタイルを作り上げるには、創造力だけではなくビジョンと勇気を要する。たとえばフラメンコ音楽の重要要素であるギターを捨て、フラメンコ作品全編を和楽器にゆだねるという勇気だ。1127日・28日ル・テアトル銀座で初演されるアルテイソレラと鼓童の共同作品「道成寺」において、まさにそのことが行われようとしている。

「道成寺」は11世紀に書かれた悲恋の物語で、能や歌舞伎の代表作として知られている。この作品を通じて日本人のルーツに立ち返ろうとするアルテイソレラ。日本の伝統芸能を現代的に解釈して常に世に送り出してきた鼓童。その二者の共同作業として、今回の日本伝統大曲への取り組みはふさわしいと言える。

最初の出会い以来、今回のコラボレーションを成就させる立役者となってきた吉井は「道成寺」の作曲・音楽監督を担当。さらに鼓童からは現役とOBメンバー二人が笛・太鼓で参加する。

二つのグループが出会うはるか前から今回のコラボレーションを胸に思い描いていたと佐藤は告白する。「初めて鼓童の演奏を見た時、そこにフラメンコの踊り手がいないのはすごく残念だと思いました。」と佐藤は笑いながら語る。「一緒に舞台をやれたら、きっと音がまったく違う形になってめちゃくちゃぶっ飛んだものになるのに」。佐藤と吉井のそんなぶっ飛んだビジョンが今まさに形になろうとしている。見逃すことなかれ。

D.H. ローゼン

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コメント

ごめんなさい。これはのせてもいいそうです。スペースがあれば どうぞ。

投稿: mel | 2010年11月11日 (木) 19時47分

是非読みたいです!!

シスさんよろしくお願いします!!

投稿: masako | 2010年11月12日 (金) 06時35分

ますます、楽しみになって来ました!
シスさん、メラニーさん、ありがとうございました。

投稿: Coco | 2010年11月12日 (金) 14時06分

Sorry I wrote twice! My internet cut out in between. Please delete my first comment.

投稿: mel | 2010年11月12日 (金) 17時09分

さぁ、今週末ですね。盛悟くんも帰ってきて稽古は大詰め。

http://dojoji.exblog.jp/15026459/

わたしは27日(土)の夜の部。このステージだけは若干、チケットの空きがあるようです。

投稿: Sysop(シスオペ) | 2010年11月23日 (火) 11時23分

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